創作を二年間つづけた私の『才能』と『実力』のおはなし

才能と実力について

 

 胃の痛くなる話で申し訳ないんですけど、現実はゲームより厳しいですよね。

 

 ゲームは娯楽だから現実に比べて極力辛いことはなく、カタルシスが得られてストレスの少ないものになっています。普通は。

 レベルアップだって簡単にできるものばかり。数値化されているのもわかりやすくていいですよね。

 でも現実のレベリングはそうもいかない。可視化されてないこともなんですが、『獲得できる経験値量』がヒトによって違うことって実は意外とネックだと思っています。ゲームだと同じじゃないですか、普通。

 じゃあ現実はどうして違うんでしょうかね。

 

 才能があるかないか? 実力の問題?

 と、ここまで考えた私はある問題に直面しました。

 

 

 そもそも才能とか実力ってなんだ?

 

 なんとなーくふわふわした言葉。よく天才だって努力する、とか、結果だけが実力だ、みたいな話を聞きます。

 でも、ホントのところはそれがなんなのか、ちゃんと理解していませんでした。

 そこで今回はそれについて考察することに。

 

実力を公式みたいに表してみた

 そもそも私がこんなことを始めたのは、創作において成長を褒められるようになったからです。

 

イラストとか小説とかかいてます

pixiv.me

 

 創作を始めてはや二年。確かにスキルアップは実感してきて、それが人に認められたので素直に嬉しかったのですが、それと同時に、才能や実力というものがなにかわからないままに褒められることに違和感を感じてしまいました

 

 そこで私は足りない頭をフル活用し、実力の正体を暴こうとしたのです!

 はい、ここまで回想。

 

 で、公式にしたのがこちら。


 経験×集中力×思考力×センス=実力

 

 各項目について、順を追って説明していきます。

 

1.経験について

 私は経験には種類があると思っていて、それぞれ

  • 体験(受動経験)
  • 努力(能動経験)

  と定義して呼んでいます。自分で選び取ったものといつの間にか手にしていたものでは重さが違うと思うのでこのように。しかし努力ができることも才能の一つですよね。

 

2.集中力について

 どれだけ優れたものを持っていても、集中力がなければ、持続して自らを磨いていくことはできません。当たり前の話なのですが、同じ練習内容ならば時間が多い方が成長できるのはいたって普通のことです。

 同じ内容なら集中していた方が得られる経験値が多いので、欠かせません。

 集中力はそれぞれ

  • 集中できるまでのはやさ
  • 集中できる時間の長さ
  • 集中の深さ

 のパラメータがあると思います。

 

3.思考力について

 どれだけ考えられるか、ということは自分の実力をのばすことに必要不可欠だと思います。自分の現在地を把握してめざしたい方向を決めたらそちらへ進む。そのためにすることを考える。同じ結末を経験しても、それについてどれだけの時間、深く考えていたかは大きな違いを生みます。

 

4.センスについて

 残念なことに才能というものはあると思っています。テニスに関する感覚だけ異様に素晴らしいひと、見たままの風景を絵に起こせる人、等々。ジャンルは違えど、それの才能が大きいほど、掛け算の解は大きくなっていきます。身長が高いことだって物理的な才能だと思いますし、そういう全てをひっくるめて才能というものはあると思います。自我のない

 ただ、これらは後天的な努力などで獲得できることも多く、必ずしも持っていなければいけないものではないと思います。

 そしてこれらはある事柄に対しての才能なので、あくまで

 

 私は上記の四項目について、それぞれ、経験の量(もしくは努力ができる才能値)・集中力の才能値・思考力の才能値・センスの才能値があると思っています。

 どれかが欠けても実力とは言えないと考えました。

 

 あ~よかった、スッキリした! 

 そりゃ努力も集中力も思考力もセンスもそれぞれ才能があるんだから、一言で才能が違うと言い表せないし、得られる経験値も違うわけです

 

 上達にショートカットはなく、毎日進めることとか、なんとなくではなく意識的に歩くこととか、どうしたら なるべく無駄がなく歩けるかを考えたりすることが大事なのだと思えました。

 

所感

 というわけで、創作二年目の私が思う才能と実力のお話でした。

 自分の持つ実力がどのくらいの要素の配分なのかを考えてみるのも面白いかもしれない。